悲劇の司令部壕

(中)「死ぬのが普通だと思っていた」首里攻防戦、両軍に多大な犠牲

75年前に激戦が繰り広げらえたシュガーローフの戦跡。今はほとんど訪れる人もいない=那覇市おもろまち(川瀬弘至撮影)
75年前に激戦が繰り広げらえたシュガーローフの戦跡。今はほとんど訪れる人もいない=那覇市おもろまち(川瀬弘至撮影)

 那覇新都心と呼ばれる那覇市北部の新興商業地域。沖縄都市モノレール「おもろまち駅」から徒歩10分ほどの、小高い丘へ続く階段を100段上り詰めたところに、戦跡を示す石碑が設けられている。

 昭和20年5月12~18日、米軍将兵がシュガーローフと名付けたこの丘で、米第6海兵師団と日本軍守備隊が激突した。のちに日本軍が沖縄本島の南端、摩文仁(まぶに、沖縄県糸満市)への撤退を決めることになる首里攻防戦の一つである。

 圧倒的火力で押し寄せる米軍を日本軍が何度も撃退し、文字通りの死闘となった。あまりの激戦に発狂する米軍将兵が続出、シュガーローフは陥落するも、米軍の損害は死傷2662人、戦争神経症1289人に及んだ。

 それから75年、日本軍にも多大な犠牲が出たこの戦跡を訪れる人はほとんどいない。石碑のそばに立てかけられた3本の卒塔婆(そとば)が、わずかに両軍犠牲者の御霊(みたま)を慰めるだけだ。

 「沖縄戦といえば、南部の住民被害のことばかり語られるが、首里攻防戦をはじめ戦いの全容を正しく後世に語り継ぐべきだ」と、沖縄戦などの戦没者を祀(まつ)る沖縄県護国神社の加治順人宮司(55)が言う。