秀吉に琉球ねだった戦国武将は善政で名高い「亀井さん」

亀井茲矩像(譲伝寺蔵)=令和3年3月、鳥取市
亀井茲矩像(譲伝寺蔵)=令和3年3月、鳥取市

 戦国から江戸時代初頭にかけて現在の鳥取市西部地区を治めた鹿野(しかの)城主、亀井茲矩(これのり)に関するご当地検定(初級編)が2月下旬、初めて実施された。わずか37年間の治世にもかかわらず400年以上たった今も「亀井さん」と住民に慕われる名君。新田開発や産業振興、城や城下町づくりに腐心した実務家の側面と、羽柴(豊臣)秀吉に「琉球守(りゅうきゅうのかみ)」を所望し九州以外の大名として唯一朱印船貿易を行った冒険心をあわせもつ。検定問題から現代に続く事績をたどる。

「壮なり」と秀吉が軍配贈る

 茲矩は弘治3(1557)年に出雲で生まれた。主君の尼子家再興のため「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったことで知られる山中鹿介(しかのすけ)=茲矩の妻が鹿介の養女=とともに山陰各地で毛利氏と戦い、秀吉の鳥取城攻めの際の軍功が認められ24歳で鹿野城主(1万3800石)となった。

 《検定問題3 茲矩は歌と踊りでコンコノ城を落としたといわれています。この出来事を語り継ぐ踊りの名は》