日露戦争時のロシア地図も「日本領竹島」 日大・笠原助教が確認

 韓国による不法占拠が続く竹島(島根県隠岐の島町)を日本領として記載した20世紀初頭のロシア製日本地図を、日本大学の笠原孝太助教(日露関係史)が確認した。地図の刊行は日露戦争(1904~05年)中で、当時の敵国であるロシアでさえ竹島を日本領と認識していたことを示す重要な資料という。

 地図は、帝政ロシア時代の百科事典「大百科事典」(全20巻、1900~05年刊)の第20巻収録の「日本」の項目に、彩色された別刷りで添付されたもの。笠原助教が今年、ロシアの古書店から取り寄せた。地図自体に制作年の記載はないが、同巻巻頭には1905年4月28日付でロシア政府の検閲許可を受けたとの表示があり、日本の領土に関する20世紀初頭のロシアの認識を示しているとみられる。

 地図の縮尺は800万分の1で、2つの小さな島からなる竹島の特徴的な形状がはっきり確認できる形で描かれている。竹島はロシア語で「リアンクルト(ゴルネット)」と記され、西隣の「マツシマ(ダゲレト)」と表記された鬱陵島(うつりょうとう)まで含めて日本領とされていた。両島の間には長崎とウラジオストクを結ぶ海底ケーブルが描き込まれており、笠原助教は「海底ケーブルまで描かれた地図は珍しく、その敷設地を示すために竹島を描いたのではないか。この地図により、日本の竹島周辺海域の利用実態が鮮明化した」と位置づけている。