異説 明智光秀の実像 記事一覧
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今年5月、豊臣秀吉が生涯最後に築いた城「京都新城」の石垣の出土が大きく報じられた。数少ない文献や絵図のみで知られていた幻の城だっただけに、研究者の驚きも大きかったが、出土した京都仙洞御所がある京都御…
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異説 明智光秀の実像
(5)くすぶる光秀生存説 なぜ岸和田の寺に光秀唯一の肖像が?有料会員向け記事
大阪府岸和田市にある臨済宗妙心寺派の寺・本徳寺に、明智光秀を描いたとされる肖像画が残されている。現在、世に出回っている光秀の唯一の肖像だ。平定した丹波や居城のあった近江ではなく、なぜ泉州地域にあるこ…
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異説 明智光秀の実像
(4)光秀の待ち伏せ 秀吉の尼崎危難伝説有料会員向け記事
天正10(1582)年6月2日、明智光秀の軍勢が織田信長の宿所・本能寺を急襲し、信長は自害して果てた。備中高松(現岡山市)に毛利氏を攻めていた羽柴(豊臣)秀吉はこの報を聞き、すぐさま毛利氏と和議を結…
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(3)消された光秀の功績 有岡城攻めの真実有料会員向け記事
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異説 明智光秀の実像
(2)光秀、福知山では「神」 隣の丹波篠山では「にっくき敵」有料会員向け記事
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(1)本能寺の変 先祖の墓焼き打ち恨み 光秀の動機に迫る有料会員向け記事